豊かさの捉え方は、人それぞれである。
ただし、自分にとって何が豊かさにつながるのかを知り、繰り返し体感しなければ、
そもそも捉えどころのない感覚かもしれない。
そこで今回は、筆者がどのように豊かさを捉え、日常生活の中に取り入れているのか、
ひとりの珈琲人の視点で綴ってみたいと思う。
選択できることが豊かさかも?
誰でも最初は、豊かさを物質的な面で捉えがちだが、
例えモノで満たされても「もっともっと…」というのが人の性である。
かえって、豊かさとは真逆の心模様に陥りやすい。
では、豊かさとは何か?
筆者は前職のサラリーマン時代に同僚と二人で、
日本におけるヘブライ研究の第一人者である手島佑郎氏のもとを訪ねたことがある。
かれこれ20年以上も前の話だ。
仕事の話を終え、奥様に出していただいたコーヒーを頂いていると、
手島氏より「豊かさ」について話が振られた。
それは、
「豊かさを英単語ひと言で表現してみてくれないか?」
というものだった。
語学力に自信のない私は、たちまち緊張してしまったのだが、
同席していた同僚の屈託のない回答に胸を撫で下ろしたことを思い出す。
「richnessかな?」
その教科書通りの回答に安堵した私は、少し間を空けてから
「economy」ではどうでしょう?
と答えた。
もちろん、手島氏は二人の回答を否定せず、
ニッコリと笑顔を浮かべながら
「choiceというのはどうだろう?」
「常に選択できる環境にあることは、実に豊かなことだと思う」
と仰った。
そこから続いた「選択」と「豊かさ」についての話にとても感銘を受けたのだ。
人生は選択の連続である。
そもそも社会そのものが、個人の選択の自由を認めていることが大前提ではあるが、
選択の幅を広げるためには、自分を知り、自分を磨くこと
が必要となる。
その日以来、
「選択できることこそ豊かさ」と筆者は捉えるようになった。
豊かさは毎日感じなければならない
また、豊かな人であるためには、
毎日豊かさを実感することが必須である。
その点、豊かさは突然訪れる「幸運」とは別物なのだ。
自分にとっての豊かさを定義し、日々体感するコツを掴むことがとても大切になる。
なぜなら、この豊かさを知ると、人の心は幸福感で満たされるからだ。
確かに、最初は砂漠に水を撒くように感じるかもしれない。
しかし、毎日自分なりの豊かさを感じ続けると、確実に心が潤ってくるのも確かである。
要するに豊かさとは、いつの日か訪れるものではなく、
自分の心持ひとつで、毎日感じられるものであることを強調しておきたい。
珈琲人として豊かさを感じるひととき
ところで、筆者は日々の暮らしに彩を添える手段としてコーヒーを愛飲している。
単にコーヒーが飲めればよいというわけではなく、
その時に飲むコーヒー豆を選択するところから愉しんでいるのだ。
同時に、コーヒーというアイテムを通じて、ありふれた日常に変化を取込んでいる。
もとより、大好きだったコーヒーを極めようと努力したことも、
今振り返ってみれば、自分磨きの一環であったのかもしれない。
したがって、筆者にとってコーヒーを愉しむことは、
・コーヒー豆を選択し
・ミルで挽き
・ハンドドリップで抽出し
・その一杯を存分に味わい
・そのカップの印象を記録に残す
という、一連の行為そのものを表しているのだ。
さらに付け加えるならば、
豆は、
・オリジン別(=生産農園別)
・品種別
・プロセス別(=精製法別)
・ローストレベル別(=焙煎度別)
にチョイスできるよう、常に複数銘柄を用意している。
要するに、コーヒーを淹れるその時の状況にピッタリくるコーヒー豆を選択しているのだ。
珈琲人として、これほど豊かさを実感できることは他に見当たらない。
ゆえに筆者は、毎日豊かさを体感していると言っても過言ではないだろう。