コーヒーとジャズの日々

,

コーヒーとジャズの相性はとても良い。

コーヒー好きの人がジャズを聴くという話はよく耳にするが、

その逆もまた然りだ。

一杯のコーヒーに癒されるのと同様に、

心地のよいジャズの音色は、さざ波始めた心をあっさり静めてくれる。

街のカフェでは、BGMにクラッシックを流す店も多いが、

ブルーノート風のジャズが流れている店の方がやはり落ち着く。

挽き立てのコーヒーの香りと、年季の入ったテーブルに椅子。

明り取りの窓はほどよく小さく、昼間でも照明を落とし気味にした店内は、

日常と隔絶した空間を演出する。

モダンジャズが流れる薄暗いカフェ

こうした店は、「大人の男の香り」がして、とても居心地がよいのだ。

そんな店に出会うと、思わず店主に声をかけたくなる衝動に駆られる。

ただ、最近のお洒落なカフェでは、

ジャズはジャズでも、スムースジャズを流している。

これは、これでまた良い。

店の雰囲気に合った音楽を流すというのは、

とても重要なことである。

なぜなら、店を訪れる客は、好みの一杯を愉しむ以外に、

音で演出するBGMにも、少なからず安らぎを求めることもあるからだ。

ジャズとの出会い

私がジャズと出会ったのは18の時である。

地方の小さな映画館で、たまたま上映されていた「死刑台のエレベータ」を

観たのがきっかけになった。

サスペンス小説をもとにした、フランス映画の傑作である。

この映画で流れていた音楽が、その後の私の好みを決定付けたと言ってよいだろう。

当時の私は、普段聴く音楽以外に、映画音楽にも関心を持っていた。

中でもお気に入りだったのが、フランシス・レイである。

ゆえに、アメリカ映画の「ある愛の詩」を観て人が涙するのも、

彼の音楽があってこそと信じて疑わなかった。

他にも「男と女」「白い恋人たち」など、彼の音楽が、名作を名作たらしめていると確信していた。

そんな私に衝撃を与えたのが、「死刑台のエレベータ」であった。

コーヒーとジャズをイメージする映画館

この映画は、全編にわたり、

モダン・ジャズ界の巨人であるマイルス・デイヴィスが担当した。

そして、彼のトランペットが奏でる「死刑台のエレベータのテーマ」に、

18の私はショックを受けた。

それまでの幼い音楽観が揺らぎ始め、

心がざわつき、音楽への渇きがこれまでとは違った方向へ向かおうとしていた。

それからの私は、

貪るようにジャズを浴びながら過ごす、まさにジャズ漬の日々を送るようになっていた。

ブラックコーヒーの記憶

現在の私は、一日に5杯から6杯のコーヒーを飲んでいる。

もちろん、選りすぐりの生豆を購入し、

自分好みに焙煎した豆をハンドドリップで淹れ愉しんでいる。

そんな私のコーヒーの原点は、ジャズとの出会いより2年ばかり早い。

それは、今振り返れば滑稽にも思える話なのだが、

高校生になったばかりの私は、ふとしたきっかけから大学生の女性に恋をした。

当然、自分が高校生であることは隠した上で、彼女との時間を過ごしていた。

年下であるという事実を何とかカバーしようと、

会う度に、何かにつけ懸命に背伸びをしていたことを思い出す。

普段の私は、友達連中と喫茶店へ行けば、

必ずアイスクリームソーダを注文するような少年だった。

しかし、彼女の前でそれを注文するわけにはいかない。

そう思い込むほど、当時の私は幼かった。

そんな私が注文したのが、レギュラーコーヒーである。

「男はやはりコーヒーでしょ?」

そういう顔をしながら、彼女に悟られないよう初めてのブラックコーヒーを飲んだのだ。

そのブラックコーヒーの記憶は、儚い恋がそうであるように、

ほろ苦いものとして現在も残っている。

ブラックコーヒーのモノクロ画像

短い恋の季節が通り過ぎ、

気が付いてみると、いつの頃からか自ら好んでコーヒーを注文するようになっていた。

もちろん、何も足さず、

そのままのブラックコーヒーで飲むのが当たり前になっていたのだ。

スムースジャズへの傾倒

その後の私は、美味しいコーヒーを求め専門店を渡り歩くようになった。

20代の頃には、すっかりコーヒーの虜になっていたのだ。

いや、コーヒーそのものに魅せられてしまったと言うべきか。

また、マイルス・デイヴィスから始まったジャズへの傾倒も、

チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、ビル・エバンスなど、

ジャズ界に君臨した巨人たちのアルバムをひたむきに聴く時期は、卒業しようとしていた。

そんな20代半ば頃に出会ったのが、ケニーGである。

彼が’86年にリリースしたアルバム「Duotones」を聴き、二度目の衝撃を受けてしまったのだ。

その洗練された旋律の虜になってしまった。

耳に心地よく、それでいてジャズであることを決して忘れないお洒落な曲たち。

当然、モダンジャズの系譜をこよなく愛する一部の人々にとっては、

彼の音楽は、ジャズィーであっても決して本来のジャズではないと言うだろう。

しかし、ケニーGは、稀にみる卓越したジャズ・サックス奏者である。

これまでのフィールドに縛られることなく、彼独自の領域を切り拓いた。

彼はまさしく、コルトレーンにも劣らぬ天才的なジャズ・プレーヤーだと言える。

いずれにせよ彼は、耳に心地のよい、

後に「スムース・ジャズ」と呼ばれるようになる新ジャンルのパイオニアの一人であった。

ハンドドリップに熱中

30代に入ってからの私は、

カフェで飲むコーヒーより、自宅で淹れることの方が多くなっていた。

それは、’92年から’01年の間の話である。

お気に入りの店で焙煎豆を購入し、

自らハンドドリップでコーヒーを愉しむようになったのだ。

しかも、カリタ製の業務用グラインダーまで購入するほどの熱中ぶりであった。

ハンドドリップ

ちなみに、ハンドドリップは奥が深い。

美味しく淹れられたかと思うと、次はそうはいかないということが当たり前のように起きる。

根っからの凝り性であった私は、「再現性」というテーマを自ら課し、

コーヒーを淹れる度に、その詳細な記録を取る習慣をこの頃身につけた。

これが、現在の私が、コーヒーを愛してやまなくなったもう一つの原点と言えるであろう。

一方のジャズはというと、相変わらずケニーGはフォローしつつも、

その他のスムース・ジャズ・プレーヤーも数多くカバーし始めていた。

私は、スムース・ジャズのアーティストの中では、

特にピアノ、ギター、サックス奏者の演奏を聴くことが多い。

中でも、サックス奏者には、個性的なアーティストがキラ星のごとく存在する。

30代で出会ったサックス・プレーヤーでは、

ボニー・ジェイムスとユージュ・グルーブの名を上げないわけにはいかないだろう。

もちろん、その後の彼らは、スムース・ジャズ界をけん引するスタープレーヤーになった。

サードウェーブの台頭

40代に入った頃、

それまでシアトル系コーヒーが席捲していたコーヒー業界に新たな風が吹き始めた。

それは後に「サード・ウェーブ」と呼ばれる新たなコーヒー文化の幕開けであった。

例のごとく、アメリカを発信源とするこの文化は、

数年の時を経て、日本にも上陸し、

「スペシャルティ・コーヒー」という言葉と一緒に伝播し始めることになる。

それは、これまでのようなコーヒーを消費する側だけにスポットライトを当てるのではなく、

コーヒー豆を生産する側にもスポットライトを当てようとする取り組みであった。

事実、「トレーサビリティ」と「サスティナビリティ」という言葉が、コーヒー業界においても

囁かれ始めた時期に当たる。

ちなみに、生産地の農家や農園、協同組合などから

良質のコーヒー豆を直接買い付ける強者のコーヒー専門店が現れ始めたのも同時期である。

また、日本においても、アメリカに倣うかの如く、新世代の自家焙煎店が次々と産声を上げ始めた。

彼らに共通することは、

スペシャルティ・コーヒーに特化し、

その豆が本来持つテロワールを活かした焙煎レベルを好むという点だ。

こうしたサード・ウェーブ・カフェの影響もあり、浅煎りのコーヒーが若い世代を中心に浸透した。

そして、そのトレンドは、現在まで続いている。

焙煎への好奇心

50代に入ってから、初めてコーヒーの焙煎を経験した。

それは、知り合いの自家焙煎店でのことである。

小型の5キロ窯でコロンビア・スプレモをシティ・ローストで焼いたのが初体験であった。

焙煎そのものは初体験であったものの、

他の馴染みの店の店主が焙煎する様子をいつも間近で観察し、

レクチャーを受けていたこともあり、初めての焙煎にしては、上手く仕上がった方だと思う。

それからは、機会があれば焙煎機を使用させてもらうようになり、

次第にコーヒー豆を焙煎することへの好奇心が尽きなくなってしまったのだ。

焙煎機の冷却の様子

また、焙煎ロギングソフトの「アルチザン・スコープ」を使用し、

カッピングを繰返しながら焙煎デザインを修正していく愉しさもその頃に覚えてしまった。

何より、自分で焙煎したコーヒーの美味しさは、何ものにも代え難いものになっていた。

自宅焙煎用の愛機

その後は実家に戻ることになったため、商用機で焙煎する機会は減ってしまったが、

現在は、お手軽な家庭用焙煎機で、ほぼ毎日スペシャルティ・コーヒーの焙煎を愉しんでいる。

使用している焙煎機は、HIVE ROASTER のカスカベル・データドームである。

もちろん、銀杏煎りに使用する焙煎網や片手鍋でもよいのだが、

自室の書斎を焙煎室にしているため、どうしても煙が問題となる。

その点、カスカベルは煙を火力で燃焼させる構造のため、書斎での焙煎にも耐え得るのだ。

いわゆるアフターバーナーの機能を

十分ではないにしても、あらかじめ備えている点が良い。

また、この愛機はPCと接続してアルチザン・スコープが利用できるため、

以前にデザインした焙煎プロファイルをそのまま使用できる点も、

私にとって欠かせないガジェットの一つになっている。

浅煎りから深煎りまで、ほぼ思い通りに焙煎を操ることができる優れものである。

スウィングなひと時を愉しむ

ところで、私にとってのコーヒーとジャズは、

日々のスウィングを愉しむために欠かすことのできないものになっている。

信頼できる仕入先から、

好みのクロップだけを仕入れ、その豆の個性を活かした焙煎を自分でデザインするひと時。

そのデザイン通りの焙煎に集中するひと時。

焙煎の成果を数日の時を経て、確認をするカッピングのひと時。

さらには、ハンドドリップでコーヒーを抽出するひと時。

また、その一杯に癒されるひと時。

そのどれもが、私の中でのスウィング・タイムである。

そこには、常にジャズが流れている。

これほど贅沢な時間は他にはない。

いずれにしても、私にとってコーヒーとジャズは、

日々の暮らしの中において、無くてはならない、大切な相棒たちなのである。

ジャズトランペット