おそらく「玉の緒」は、遥か古より受け継がれる宇宙の真理を示した言霊の一つであろう。
現代の辞書をひけば、
1 美しい宝玉を貫き通すひも
2 短いことのたとえ
3 生命、いのち
などの語釈が示される言葉である。
しかし、太古の日本列島に生を受けた人々は、現代人が今では知覚し得ない、
「根源的な「玉の緒」の力を自在に操っていたのではないか?」
と考えられている。
そこで今回は、コーヒーブレークのお供に、この「玉の緒」について呟いてみたい。
和歌に登場する「玉の緒」
「玉の緒」という言葉は、万葉集をはじめとする和歌の中に登場する言葉でもある。
有名どころでは、百人一首の八十九番歌がある。
玉の緒よ たえなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
この歌は、後白河天皇の第三皇女、式子内親王が詠んだものだ。
「忍ぶ恋」をお題として詠まれた歌である。
この歌での「玉の緒」は、己の「いのち」として用いられている。
現代語訳としては、
「わが命よ、絶えるのなら今すぐにでも絶えてしまいなさい。
このまま長く生き続けると、恋しさを耐え忍ぶことができなくなりそうよ」
となる。
忍ぶ恋の切なさや孤独が、見事に詠まれた歌である。
また、「玉の緒」は枕詞としても用いられている。
ただし、「たまのを」だけでは、枕詞の5文字の要件を満たさないため、
「玉の緒の」として用い、
「長き」「短き」「絶え」「乱れ」「継ぐ」「惜し」
を続き言葉としている。
「枕詞」って何?
って方のために、有名な枕詞を幾つか紹介してみよう。
枕詞の後には、その枕詞に対応する決まった単語が来るのだ。
いわゆる和歌の約束事の一つである。
①あをによし 続く言葉は「奈良」
②敷島の 続く言葉は「大和」
③白妙の 続く言葉は「衣」「袂」「紐」「帯」「袖」「たすき」「雲」「雪」
④ちはやぶる 続く言葉は「神」「宇治」「氏」
⑤八雲立つ 続く言葉は「出雲」
いかがだろう?
枕詞の意味は知らずとも、一度は耳にしたことがあるのではないだろうか?
ちなみに、
「申し訳ございませんが 続く言葉を『断り文句』!」
とすれば、
「申し訳ございませんが」は、今様の「枕詞」と言えなくもない。
宇宙の理の中での玉の緒
「玉の緒」は、
肉体と魂を結ぶ光の紐である。
縄文人は、そのことをごく当たり前に認識していたと考えられる。
彼らは、魂から伸びた光の紐を認識し、それに「玉の緒」と名付け言霊とした。
そして、肉体と魂が結ばれ、人として生きている状態を「現世」と理解したのだ。
言い換えるなら、我らの先祖は「魂」と「霊」を明確に区別していたのだ。
すなわち、「玉の緒」が肉体と結びついている状態の意識体が「魂」であり、
死とは「玉の緒」が切れることを意味した。
そして、「玉の緒」が切れた状態の意識体を「霊」としたのだ。
つまり、「魂」は肉体を通じて
「現世(=この次元)」に逗留している意識体であり、
「霊」は次元に拘束されず、
より高次元へ到達することのできる意識体であることを知っていた。
さらに、ほとんどの縄文人が、「現世」に居ながら「玉の緒」を緩め、
より高次元に意識体を飛ばすことにより、
他人や他の集団と意識を共有することができたのだから正に驚きである。
それだけ森羅万象に鋭敏であり、感性も現代人とは比較にならないほど豊かだったのだろう。
縄文人が、争いと無縁だったことがこのことからも腑に落ちる。
現世(=この次元)において生物学的な肉体は滅んでも、
「霊魂」としての意識体が不滅であることを理解すれば、現代人もかなり楽に生きられそうである。
話は変わるが、現代において「幽体離脱」という言葉がある。
先の縄文人の叡智からすれば、次のように説明を受けることになるだろう。
通常、魂と肉体は「玉の緒」で結ばれ重なり合っているのだが、
何らかの衝撃を受け、生命の危機に直面した際は、
「玉の緒」が一時的に緩んで伸びてしまう(魂が肉体から離れる)ことがある。
「玉の緒」が切れてしまえば人は死ぬのであるが、
「玉の緒」が繋がったまま伸びてしまうと、
「魂」の状態のまま、「霊」と同じように意識体が現世を超えてしまう。
このように、意識体が「現世(=この次元)」を超えた状態が「幽体離脱」と考えられる。
もちろん、「玉の緒」は繋がっているため、
肉体から離れた「魂」は、
再び元の肉体と重なり合うことになり、高次元の記憶とともに生還するのだ。
とまあ、縄文人らしい「宇宙の理」としての「玉の緒」の説明が聴けることだろう。
勾玉は魂の象徴?
ところで、三種の神器の一つにもなっている「勾玉」をご存知だろうか?
一般的には、弥生時代以降の高貴な身分にある者の装身具と考えられているため、
縄文由来であることがあまり知られていない。
曲がった形をした玉のため「勾玉」と名付けられた。
主に祭祀で用いられたのでは?
とする説が有力ではあるが、真実は判明していない。
また、その変わった形状は何を表しているのか?
こちらも諸説あり、真実は藪の中である。
もっとも、縄文初期の「勾玉」の形状は、
お馴染みの形とは異なりC型の形状をしていた。
それが、どういう理由かは不明ながら、
現状の知られた形へと変化し、その後定着したのだ。
さて、「勾玉」の形状説の中でも、筆者は「魂の形」説を信じている。
「勾玉」は、宇宙に繋がる意識体の「魂」を目に見える「形」にしたもの。
すなわち、「魂の象徴」をかたどったものとする説だ。
筆者には、魂と玉の緒を表現しているようにしか見えない。
したがって、祭祀に用いられ、宝玉として珍重されたのではないだろうか?
ところが、「勾玉」は古墳時代に突然その姿を消す。
おそらく、古墳時代に大量流入した渡来人の影響が大きかったのだろう。
実は、この渡来人の流入は、
第一波が縄文時代、
第二波が弥生時代、
第三波が古墳時代
であったことが最近の研究から明らかになっている。
縄文時代から続いた「勾玉」の霊性が、
渡来人の流入とともに失われてしまったのは誠に残念ではある。
しかしながら、森羅万象と繋がり、自然に対して畏敬の念を抱き、
また、あらゆるものに「魂」が宿ると信じるマインドは、現代の我々にも
少なからず受け継がれているのだから、その点はぜひとも誇りたい。