人格形成に、本を読むことは欠かせない。
名作の小説や詩集ならば、自然と心の襞(ひだ)が増えるのに役立つ。
また、学術的な専門書であれば、論理的思考を身につける助けとなる。
いわゆる感性を磨くには、本を読むのが一番なのだ。
そこで今回は、本を読む習慣について気ままに綴ってみたいと思う。
読書好きは絵本から始まる
物心ついた頃より、それは常に手の届くところにあった。
お気に入りは「キンダーブック」だったが、
その他にも、「さるかに合戦」や「桃太郎」に「浦島太郎」などなど、
昔からの民話を描いた厚紙の絵本が、幼い少年を空想の世界へと誘ってくれた。
さすがに、その当時の心模様は思い出せないが、
絵本を読み終わった後には、挿絵に倣ってよくお絵描きしたことを思い出す。
もちろん、クレヨンを使ってだ。
おそらく、幼心に感情が揺さぶられ、興奮してのことだったのだろう。
特に、お気に入りは、キンダーブックの挿絵のソフトクリームだった。
絵本と同じフワフワのソフトクリームをおねだりしたものだが、
当時はまだまだ高級なお菓子に属し、ソフトクリームを販売する店も限られていたため、
その頃にソフトクリームを食べた記憶がない。
初体験は、小学3年生頃だったと記憶している。
このように、年相応の本を読むという習慣は、
心の襞(ひだ)の形成と共に、記憶の栞(しおり)にもなってくれるのだ。
童話や偉人伝も重要
平仮名とカタカナをマスターし、さらに簡単な日常漢字を覚えるとしめたものだ。
何故なら、小学校の図書館が、まるで宝箱のようになるからである。
当然のごとく、筆者は図書館をよく利用した。
グリム童話と偉人伝をよく読んだことをまるで昨日のことのように思い出す。
あくまでもこれは私見であるが、
適正な年齢で童話や偉人伝を読み込むと、確実に人としての情緒が育まれる。
その点で、先人たちの先見の明には脱帽するしかない。
また、童話と偉人伝の中間に位置する子供向け小説も見逃せない。
特に印象に残っているのは、
ロバード・ルイス・スティーブンソン著作の「宝島」である。
小学生時代の筆者にとっては、正に「お宝本」であった。
この本を読みながらワクワク、ドキドキした冒険心は、
どうやら還暦を過ぎた今も忘れていないようなのだ。
なお、1985年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ総指揮の映画「グーニーズ」を観た際、
「ああ、この映画を作ったのは、きっと『宝島』を愛読した人たちだな」
ってことが、肌感覚として伝わってきたことを言い添えておきたい。
年頃には純愛小説が必須?
ところで、人には「おませ」と呼ばれる時期が必ず来る。
当人にその自覚はさらさらないのだが、
どうやら、周りの大人たちにはそのように映るらしい。
それは、とても純粋かつ無垢であり、
思えば人生においてほんの一瞬光り輝く、まるでガラス細工のような時期に該当する。
幸いにも、筆者はその時期に読むに相応しい本と出合った。
一つが伊藤左千夫の「野菊の墓」であり、もう一つは武者小路実篤の「愛と死」だ。
この二作を読み、何度も感涙したことに決して後悔はない。
と言うか、今もって恋愛の根本軸になっている。
このような過敏な時期には、
できることなら打算的なお話やバイオレンス系のものは避けた方が望ましい。
純愛を心に刻める時期は、人それぞれに、ごくごく僅かな時間でしかないからだ。
ちなみに、筆者は高校卒後上京したのだが、
何度となく矢切の渡しに乗り、野菊の墓を訪れ感慨に耽ったものである。
もちろん、寅さんファンでもあったため、
その際は、柴又帝釈天界隈も散策したのは云うまでもない。
中原中也、そして三島由紀夫
高校生時代は、中原中也ならびに萩原朔太郎にハマっていた。
他にも、ヘミングウェイやサリンジャーなどの米国人作家の小説のほか、
フランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」などなど、興味の赴くがままに、
さまざまなジャンルの小説や詩集を読み耽った時期でもある。
中でも、三島由紀夫の作品には、強烈なインスピレーションを受けた。
もっとも、筆者は、
彼の市ヶ谷旧大本営での自決に至る一連のシーンをリアルタイムニュースで観た世代であり、
そのためなのか我が家では、三島由紀夫と何故かビートルズがタブーだったのだ。
そうした背景もあるせいか、三島作品を手にしたのは高校生になってからだった。
最初は、ご多分に漏れず純愛小説の「潮騒」から入り、
代表作の「金閣寺」、「仮面の告白」やエロチシズムに満ちた「午後の曳航」などなど、
三島文学に傾倒した時期でもあった。
男は齢を重ねると古代史にハマる?
昔、ルーツというドラマが大ヒットした。
黒人奴隷のルーツに関する話だったと記憶しているが、
筆者にも、日本のルーツに興味を持つ時期が訪れた。
日本男子にありがちな話である。
顧みれば、最も多忙だった時期に「古事記」と「日本書紀」に没入したのだ。
もちろん、脚注入りの口語訳である。
ところが、古事記は何度読み返してみても、
読めば読むほどに、比定されている土地が余りにも現実離れしていて、
逆に疑問が次から次へと湧き出てしまい、腑に落ちないまま現在に至ってしまった。
そもそも、現在の市販されている「古事記」本は、
天孫降臨の地は、九州の日向(ヒムカ)、
須佐之男命の八岐大蛇退治と大国主の白兎神話の地は、島根の出雲(イズモ)、
そして、神武東征後の倭(ヤマト)は、奈良であることが前提になっているのだ。
「???」
疑問の一例を挙げれば、
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天下る時代に、
日向(ヒムカ)は存在しないにも関わらず日向に降り立っている。
もちろん、古事記が編纂される時代には、日向国はあるのだが辻褄が合っていない。
実は、日向の名称は、第12代景行天皇により名付けられたものなのだ。
それまでは大和(=倭)に属していなかった地域である。
この疑問を古代史に熱心な友人にぶつけたところ、
「のちに日向(ヒムカ)と名付けられた場所に降り立ったということで、
ニニギノミコトが天下った場所を最初から日向(ヒムカ)と表したのだ」
とのこと。
恐らく、国文学者の方々も同様の見解なのだろう。
さらに、その前のイザナギとイザナミによる国生みでは、
素直に読めば、明らかに四国である伊予之二名島(イヨノフタナノシマ)が
主役として書かれているにも関わらず、現在の古事記本は黙して語らない。
ところが、最近になり、これらの長年の疑問を払拭してくれる本に出合った。
プロの編集者による赤入れがなされていないため、多少読み辛い本ではあるが、
現在、自分なりに整理しながら3度目を読み返している。
その本のタイトルは「道は阿波から始まる」である。
日本の古代史に興味を持つ者にとっては、誠に腑に落ちる古事記の世界が展開するのだ。
これもひとえに、本を読む習慣があってこその賜物と思うがいかがだろう?