古より受け継がれてきた言霊の響き。
言霊は、人が放つ言葉の一音一音に力が宿る「やまと言葉」の神髄でもある。
もちろん、現代の日本語は「やまと言葉」だけではない。
漢語や外来語を積極的に受け入れ、和語と共生している不思議な言語である。
まさに、日本語という言語そのものが、日本文化を象徴していると言えよう。
実に懐が深いのだ。
良きものは、受け入れる。
ただし、自らの感性により包み込むことを決して忘れず、
見事なまでに我がものとして「昇華」する。
これこそが、日本文化の「根」であり、同時に「国柄」でもある。
今回は、コーヒーブレークにお勧めの「言霊」の一つを紹介したい。
やまと言葉
やまと言葉は、日本固有の言葉である。
現在では、使われなくなった「古語」もあるが、身近な例では、
「ありがとう」
「ご遠慮なく」
「おもてなす」
「心配り」
「美しい」
「おかげさま」
などなど、普段より日常生活において無意識に使っている言葉が数多ある。
ちなみに、この「数多」も「やまと言葉」の一つだ。
ほかにも、
恋の始まりは「おもいそめる」
好きな人のことは「心を寄せる人」
穢れのない様子のことを「清らか」
些細なことにとらわれない様子を「おおらか」
などがあり、これらも利用頻度の高い「やまと言葉」だろう。
基本的には、もともと平仮名の言葉や漢字を訓読みすると「やまと言葉」になる。
「しみじみ」「つくづく」などは、平仮名使いが一般的。
つまりは「やまと言葉」だからである。
「海」「夏」は、音読みでは「カイ」「カ」だが、訓読みでは「うみ」「なつ」となる。
この訓読みした「うみ」「なつ」が、「やまと言葉」なのだ。
なお、これまでに登場している「言葉」は、「やまと言葉」では「ことのは」と音を発する。
言霊のもとは五十音にあり
母音と子音の階層構造によって成り立つ「五十音」の一音一音に言霊は宿っている。
言い換えるなら、五十音それぞれに宿った音のエネルギーこそが「言霊」なのである。
言霊は、主に国学者や神道家、文学者たちにより「言霊学」として研究されている。
筆者もまた言霊をテーマにした書籍を何冊も読み漁った一人である。
中でも「七澤賢治講話選集三 言霊」は特に胸を打つ一冊だ。
著者によれば、日本語という言語は、
それぞれの音が独自のエネルギーを持っており、
それらの組合せにより、様々なものを創造する力があるという。
確かに、古来より、五十音をもとにした言霊が存在する。
どうやら、言霊の秘密を解く鍵は、五十音にありそうなのだ。
ひふみ祝詞
「ひふみ祝詞」は、古より奏上されている祝詞である。
また、一つ一つの音に言霊の力が宿る強力な祝詞としても知られている。
仏教の「真言」と同じ「呪文」の一つと考えればよいだろう。
ゆえに、この祝詞を唱えれば、運気は上がり、同時に穢れを祓うことができるのだ。
敢えて「できる」とした。
なぜなら、数千年前より唱え続けられている祝詞だからだ。
効果がなければ継承される筈もない。
「信じればこそ」ではあるが、それ程に強力な「言霊」なのだ。
まずは、厳かなタイプの「ひふみ祝詞」を響かせてみてほしい。
YouTubeチャンネル QPJ VISIONより
続いては、カジュアルなタイプの「ひふみ祝詞」の響きである。
YouTube チャンネル 遥奈より
この祝詞は、いろは四十七音の言葉ならびに音色自体に言霊が宿っているため、
訳した意味を知らなくても問題はない。
ただただ、唱えればよいのだ。
もちろん、意訳は存在する。
一般的な意訳、阿比留文字、カタカムナの訳、古代ヘブライ語に置換した訳などだ。
阿比留文字とカタカムナは、日本古来の神代文字である。
特に面白いのは、古代ヘブライ語に置換した訳だ。
「誰がその美しい女神を出すのでしょう。
女神に出ていただくために、いかなる言葉をかけたら良いのでしょう」
となるそうだ。
これは、まさに天照大神の「天岩戸神話」を連想させる訳となるのだからから面白い。
筆者は、コーヒーでひと息つく際に、気が向けば、この「ひふみ祝詞」を一緒に唱えている。
(また、日が違えば「般若心経」をコーラス版と一緒に唱えることもある)
唱えるのは、コーヒーを飲み干した後の方が良いだろう。
必ず、気分がリセットされることを請け負う。
なお、お供のコーヒー豆は、
辺りをお勧めしたい。